創立70周年記念-3

ご挨拶 教会の創設者の一人
新居姜子姉の証「聖夢」朗読 (mp3)

創立時の牧師紹介者
新里貫一先生

宣言文

牧師紹介者 新里貫一先生

70年前この教会の牧師がどのようにして決められたのか、創立者の新居姜子姉妹と初代牧師の戸川二郎牧師(私の父)と共通の友人である米国在住の新里貫一先生の紹介によって決定したのですが、父と新里先生がどのようにして友人関係になったかは分かりませんでした。

今回昔の資料の中から、父の回顧録のような文書を発見しましたので、抜粋転記いたします。

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 どうして私のような者が指名されたのか。その経緯について新居姉の書かれたものを引用いたします。「戸川二郎牧師は、有名なる米国ロサンゼルス市のホーリネス教会の盲目伝道師でいらっしゃいました新里貫一先生と、常に聖霊によるお交わりを受けて居られたとの事、実に新里先生はすばらしい伝道者で居られました。

その新里先生の紹介で来られたのが戸川先生でした。

 それは、1949年8月3日の朝6時、2階の一室で『早く良い牧師が与えられますように』と祈って、階下に降りてくると戸川先生が玄関先に立って居られ、私は非常に驚いて殆ど息が止まる思いでした。

 応接間でお話をしました結果、(今までに何人かの牧師が来訪されましたが、信仰の点でお断りしていました。)戸川先生とは全く同じ信仰でしたので、牧師になることをお願いしましたが、その時、先生は即答なさいませんでした。」

 これが同姉と初対面の記事です。私は1935年に淀橋教会副牧師に任命されましたが、その翌年新里師が来日されたのです。同県人でもありましたので、親しくお交わりをしていました。
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 父は、神社仏閣が200もある鎌倉での開拓伝道は自分には無理であるからと断るために新居姉を訪ねました。

しかし、新里先生から、牧師になるようにとの長文の手紙が来ていたこともあり、新居姉の申し出をその場で断るのを躊躇したのと、新居姉の信仰のすばらしさに共鳴したことも即答できなかった理由と思います。

 父は、属していたホーリネス教団委員長の車田先生にも相談し、祈り、牧師になることを主の御心であるとの確信をもって引き受けることにいたしました。主は必ず養い守ってくださることを信じて、米国の超教派の教会による献金で建てられた教会である故、教団を離れて単立の教会として歩んで行くことにいたしました。

 牧師館も無い厳しい状態での開拓伝道でしたが54年間97歳で召天するまで、父は大きな病気をすることもなく、生活も守られて来ました。
70年経った今も、腰越の地に十字架は輝き続けています。
 14年前より牧師として立たされている私も、70年の歴史を振り返る度に主は生きておられることを確信しております。

戸川偕生