タイトル 「見よ、それは非常に良かった」 聖書箇所:創世記 1章 31節
すべての物は、誰も介入しない自然現象の結果として存在するか、誰かが介入したかのいずれかで、中間はありません。私たち日本人は義務教育で、あるいはその前から、人間は自然現象である進化の産物で、先祖はサル(のような)生物、太古の昔はとても未発達な共通祖先とでも呼ぶべき生物だったと教わり、メディアや博物館、百科事典まで「進化は確立された科学的事実」という論調ですから、この聖書の創造の記事は非科学的なおとぎ話としか思えないのも無理はありません。
以前の私もそうでした。ところが人体の構造や機能を科学的に分析すると、ほぼすべてについて「誰も介入しない自然現象の結果、獲得した」という考えには極端な無理があり、「人間は誰かの介入によって存在する」と考えざるを得ないことがわかります。
では、その「誰か」とは一体どんな方なのか?今回は聖書から多少、距離を置いて、科学的・論理的に私たち自身について考えてみましょう。