説教主題_2025_10_12_山中直義師

タイトル 「まだ家までは遠かったのに」 聖書箇所:ルカの福音書 15章 11~32節

 ルカの福音書15章には、神から遠く離れて失われた人を救おうとする神の愛と熱心が示されています。

 1節には、取税人や罪人たちが、話を聞こうとして主イエスの近くにやって来た、とあります。真摯に悔い改め、神に立ち返ろうとする姿だと言えます。しかし、パリサイ人と律法学者たちは、「罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」主イエスに対して「文句を言った」のでした。すると主イエスは、そんな彼らに対して三つのたとえをもって語られました。

 失われた一匹の羊を見つけるまで捜し歩く羊飼い、失われた一枚の銀貨を注意深く捜す女性、そして失われた弟息子を何としてでも救おうとする父。この三つのたとえには、神から離れて失われた状態にある者を救おうとする神の愛と熱心、そして、見つけたときの喜びが貫かれています。そんな一連のたとえの三つ目のたとえは、「放蕩息子のたとえ」と呼ばれることがあります。しかし、神から遠く離れて失われた状態について言えば、弟息子よりも兄息子のほうが深刻だったと言えます。父の思いが理解できず、父の喜びをともに喜べなかった兄。彼は父と一緒にいながら、心が父から遠く離れていました。その姿は、パリサイ人や律法学者たちの姿そのものだと言えます。そして、果たして私たちはどうか、心が神から遠く離れてしまってはいないか。真摯に自己吟味すべきことを迫っているように思うのです。

 主イエスは、そんな者たちが「我に返る」ことを願い、懸命に語りかけてくださいました。そして、神から遠く離れて失われた状態にある者たちを救うために、ご自分のすべてを差し出し、十字架にかかってくださったのでした。私たちは、神の御思いを知らされ、神とともに心から喜ぶ者とされているでしょうか。兄息子のように、御父の思いが分からず遠く離れてしまってはいないでしょうか。主は、神から遠く離れて失われた者たちに懸命に語りかけていてくださいます。その語りかけに真摯に耳を傾け、主の御思いを知る者とならせていただきたいと願います。そして、主とともに人の救いを心から願い、労し、その救いを主とともに心から喜ぶ者たちであらせていただきたいと願います。