説教主題_2025_05_11_山中直義師

タイトル 「権利を取り去った神」 聖書箇所:ヨブ記 27章 1~12節

 ヨブは、「彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない」(1:8)と主に言われるほどの生き方をしていました。しかしそのヨブが、あらゆる権利を取り去られたかのような苦しみを経験しました(1,2章参照)。正しく生きている者が神から祝福され、悪い者が罰せられるという一般的な考え(ヨブの三人の友の考え)では到底説明することができないことが起こったのでした。それは、神の許しの下で起こった特別なことでしたが(1,2章参照)、ヨブ自身はそのことを知らずに深く苦しみました。

 到底耐えられないような苦悩の中にあって、ヨブは懸命に神に叫び続けました。「神のみわざの外側」(26:14)ではなく、神の深い御思いを知ることを求め、神に正しく取り扱われることを求めたのでした。
最終的に、ヨブはその苦しみを通して、「主のしもべ」として尊く用いられるようになります。ヨブを苦しめ、神について「確かなことを語らなかった」(42:7)三人の友がさばかれずに救われるために、神と人の間に立つとりなし手、仲裁者として用いられたのです(42章)。神がヨブの権利を取り去られたのは、救われる権利などない者たちが救われるためであったと言えるのではないでしょうか。

 「地上には一人もいない」と称賛されたヨブ以上に誠実で直ぐな心を持っておられた主イエスは、神の御子でありながらすべての権利を捨て、人として地上に来てくださいました。そして、神を畏れて悪から遠ざかり、何の罪も犯すことなく歩まれました。権利ということで言えば、あらゆる祝福が与えられて然るべきお方でした。しかし、主イエスはあらゆる権利を取り去られ、最後には最愛の弟子たちにさえ見捨てられ、十字架につけられて死なれました。それは、神を知らずに罪を犯し続け、救われる権利などない私たち罪人が、このお方の苦しみと死、そしてよみがえられたこのお方のとりなしによって罪の赦しを受け、真に神を知る者として生かされるためでした。

 私たちも、神が私の権利を取り去ってしまった、と思うことがあるかもしれません。しかしそれは、神を知らずに滅んで行くほかの人が救われるための神のご配剤なのかもしれません。私たちを救うためにすべての権利を取り去られてくださった主イエスを見上げつつ、苦悩の中にあっても主の救いの御業を待ち望む者であらせていただきたいと願います。