教会便り_293号 (2018_06_24発行)

2018年 6月24日  鎌倉海岸キリスト教会月報 

13年目の歩み  戸川偕生

 先週の聖日は父の日でした。12年前(2006年)の父の日に、私は牧師としての按手を受けました。当日は礼拝の中で牧師就任式があり、お茶の水聖書学院院長の増田誉雄(やすお)先生が按手をしてくださいました。按手を終えて牧師となった私に対して牧師の覚悟についてメッセージしてくださいました。そのメッセージは13年目の出発点の今も忘れられない内容です。

 増田先生は温厚でいつもにこやかな印象の先生でしたが、その時のメッセージをされている表情は真剣で厳しいものでした。
メッセージはヨハネの福音書10章11節「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちをを捨てます。」の聖句から、牧師は良い羊飼いとして、羊のためにいのちを捨てる 覚悟を持ちなさいという 内容でした。

 その時は正直、牧師はそんな命がけの仕事なのか、えらい仕事についてしまった、早まってしまったかもしれないとの思いもありました。
社会人として仕事をしている時は、仕事第一の思いはありましたが、命をかけるまでの覚悟は持っていませんでした。社会人時代は営業として印刷機械を売っていました。印刷機械は製品としての価値はありますが命はありません。

羊飼いの仕事は命ある羊を養い育てることです。
羊飼いにたとえられる牧師は羊にたとえられる信徒を霊的に成長できるようにしなければなりません。しかも良い羊飼いは一匹の羊のためにも命をかけます。

牧師も一人の信徒のために命をかける覚悟を持たねばならない。

それが、牧師に対する神様の要求されることであると思った時、覚悟を決めました。
牧師という神様から与えられた仕事に命をかけようとの覚悟です。
増田先生の言葉は、折々に私のうちに響いています。

 牧師として13年目に一歩を踏みだしている今、改めて増田先生の真剣な表情、言葉を思い出しながらヨハネ十章十一節の聖句を読み、その意味を思いめぐらしてみました。
ここにある「牧者」はイエス様ご自身のことを指しながら、イエス様が弟子たちに語っておられる個所です。
イエス様と同じに命をかけることを弟子たちに要求されているのだろうか。
その答えは、イエス様が昇天された後の弟子たちの命がけの伝道活動を見ればはっきりしています。

ステパノの殉教をはじめ、十二使徒のうち、自殺したユダと最後まで生きながらえ使命を全うしたヨハネを除いて、10名の使徒は逃げることなく殉教しています。
まさに神様から与えられた使命を命をかけて完遂したのです。
そのことが出来るようにイエス様は、天に帰られてから聖霊を、使徒をはじめ多くの弟子たちに与えられました。

 人間の覚悟だけでは、命をかけることは難しいです。しかし、聖霊を頂くならば、命をかけて使命を遂行することが出来るのです。神様が望まれるような牧師であるためには、聖霊の力に依らなければならないことを覚えて歩んでまいりたいと思います。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます使徒1章8節

 お祈りください。