説教主題_2025_07_20◆伝道礼拝◆山中直義師

タイトル 「罪人を招くために」 聖書箇所:マタイの福音書 9章 9~13節

 「インマヌエル」(私たちと共におられる神)と呼ばれる神の御子イエスは、「ご自分の民をその罪からお救いになる」(1:21)ために、人となって私たちのもとに来てくださいました。
その主イエスがあるとき、収税所に座っていたマタイをご覧になりました。ユダヤ人でありながらローマの手先として働いていた取税人のマタイは、同胞から嫌われて疎外される中で、孤独や葛藤を抱えて一人座っていたものと思われます。しかし、そんな彼に主イエスは近づき、彼を見つめ、「わたしについて来なさい」と声をかけられました。主イエスは彼を、主イエスと共に歩む新しい人生へと招いてくださったのです。

 マタイはすぐに立ち上がり、イエスに従って歩む道を選びました。そして、よほど嬉しかったのでしょう。彼は主イエスを自宅に招き、大勢の取税人たちや罪人たちも招いて盛大な食事の席を設けました(ルカ5:29)。「イエスや弟子たち」(10)は、マタイをはじめとする取税人や罪人たちと親しい交わりを持つことを喜びました。

 しかし、それを見たパリサイ人たちは「弟子たち」(11)を非難しました。彼らにとって、罪人と交わることは自らを汚すことであって、そのような者たちとは距離を取ることこそが正しいことでした。彼らにとって、主イエスの教えは間違っており、そんな教えに従おうとする主イエスの弟子たちは非難されるべき者たちでした。すると、これを聞いた主イエスが弟子たちに代わってお答えになりました。そして、ホセア書6章6節のみことばを挙げつつ、神が求めておられるのは外面だけの宗教行為ではなく、むしろ心からのあわれみだとお語りになりました。

 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」。主イエスは、神から離れて悩み苦しむ者たちを「ご自分の民」とするためにこの世に来てくださいました。自分の力では自分を罪から救えない、そんな者たちを見つめ、声をかけ、主イエスと共に歩む人生を与えるために、私たちのもとに来てくださったのです。そして、彼らを「罪からお救いになる」ために、ご自身が十字架にかかってくださったのです。

 主イエスのことばを聞いた時、マタイの心にはどれほどの喜びが溢れたことでしょう。私たちもまた、その喜びに生き続け、主イエスを頭とする交わりを共に喜んで歩んでいきたいと思います。