教会便り_305号 (2019_06_30発行)

2019年6月30日  鎌倉海岸キリスト教会月報

  AIと信仰

最近AIという言葉を耳にしたり目にしたりします。
日本語で「人工知能」と言い、人間の知能(知識と才能)の分野を代替えする高性能コンピューターのことを指します。
確かに人間を上回る能力をもって人間以上の働きをしますので、AIに対してある種の恐れを感じる人も出ています。
AI時代到来が確実視される今、クリスチャン新聞6月16日号にAIと信仰に関する記事が3面と6面に出ていました。

3面は「人工知能は神を信じられるか」をテーマにAI研究者、技術者、僧侶、東京基督教大学特別教授の4人によるディスカッションの内容が、6面には、米国南部バプテスト連盟が4月に発表した人工知能についての声明の要約と、それについて人工知能の専門家で牧師の武川公(あきら)師の解説が掲載されていました。

3面のディスカッションの主な意見は次の通りです。

「AIが神を信じられるか」の問いに

・AIが宗教心を持てるかどうかが鍵となる。

・人間の知能を人工的にシュミレーション出来ても意識や心はどうか。

・ロボットが心を持っているように振る舞えても心を持ったことにはならない。

・AI自体が良い悪いは考えないだろう。AIが「ばちがあたる」とは考えない。

・AI自体が意味を分かっているのではなく、人間の判断が必要になる。

6面の米国南部バプテスト連盟の声明は12項目から成っています。そのまとめとして、

AIは人間の能力を超えるだろうが、創造者としての神に代わるものではない。

AIが神の似姿になることを認めない。神は全知であり、人間が造ったものは、神の贖いの計画を妨げることはできない。神の似姿としての人間に取って代わることはできない。

武川師の解説

コンピューターが単独で知能を持ったわけでなく、

人間が必ず、どこかで、コンピューターの知能の獲得に関与しています。

人はその罪の性質の故に、

間違いなくAIは悪用される方向で発展していくものと思わされます。

我々一人一人が、このAIの危険性を認識しAIの制作と利用の過程に監視の目を光らせていくことが絶対に必要と思われます。

3面に、川崎カリタス学園児童殺傷事件について、碓井真史 青陵大学教授の寄稿記事が載っていました。一部を抜粋紹介いたします。

神は子どもたちを愛していた。亡くなった可愛い少女のことも、有能な男性のことも愛していた。

そして、こんなことを言うのは被害者のことを考えると胸が痛むが、しかし無価値なものさえ愛するアガペー(カリタス)の神は、包丁を振り上げたあの男のことも、きっと愛していたに違いない。(カリタスはアガペーのラテン語)

 神様を信じ、神様に愛されている人は、アガペーの愛が分かります。

なぜなら、人間は神様の似姿としての霊的存在だからです。AIがこの先どんなに高性能に進化しようとも、霊的存在になることは不可能です。

AIは超便利な道具にしかすぎません。正しく利用すべきです。(戸川)