教会便り_292号 (2018_05_27発行)

2018年 5月27日  鎌倉海岸キリスト教会月報

祈りの答

 聖書には絶えず祈りなさいとあります。
私たちの祈りの内容は、ほとんどが願い事です。求める祈りです。
祈りとは願い事をかなえる手段、自分の力では処理しきれないと思われた時神様に頼る、すなわち人間的手段の次に「神様の出番です、よろしく」というような二次的手段にみなされているケースが多いのではないでしょうか。

よく「後は祈るしかないね」と言う言葉を聞きます。
そのような言葉には、祈っても多分、答えられないだろうという気持ちが感じられます。
祈り手として答を期待していない祈りをすることになります。神様は全能であられるから何が何でも答えていただくという真剣な祈りではありません。

祈られる神様はどの様な思いで、このような祈りを聞いておられるのでしょうか。人間同士であっても、相談事を、他に相談した後に持ってこられてもいい感じではありません。医療に関してセカンドオピニオン、サードオピニオンと、最初の診断に対しての真偽を確かめるということをします。
神様のところにセカンドオピニオンを求めに行くような祈りです。
なぜそのような祈りが多いのでしょうか。
これまで沢山の祈りをして来ても答えられたという実感を持てていないからです。

求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ7:7)

 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、私の名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。(ヨハネ14:13~14)

 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。(ヨハネ15:7)

 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます。あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。
父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出てきたことを信じたからです。(ヨハネ16:26~27)

 聖書には求めれば与えられる、とあります。
祈りを通して求めるのですが、祈りの心と祈る人の信仰が大事であることが、述べられていることを忘れてはなりません。
 祈りはイエス様の名によって聖なる畏れ多い神様に直接語りかけることですから口先でなく真剣でなければなりません。
イエス様は神様の子でありながら私たちのためにいけにえになってくださり、その執りなしによって神様に直接祈れるようになりました。感謝です。

 イエス様を信じる私たちにとって神様はお父様です。神様は父の愛を持って祈りを聞いてくださいます。こちらの求める以上の答えを用意してくださいます。
 神様の用意なさる答えは、祈る者を通して神様の栄光を表わします。
その祈りの答えが、私たちの求めることと一致する場合もありますが、一致しない場合が多いです。
そのため、祈りの答が無いと思ってしまいますが、父なる神様目線の答が用意されているのです。