2018年 4月29日 鎌倉海岸キリスト教会月報
聖書の永遠
聖書では「永遠」という言葉は重要な言葉です。
「永遠」という言葉を聞くと、有限の世界に住んでいる私たちは有限的基準で「永遠」を考えてしまいます。物事には初めがあり終わりがある。つまり終わりのないことが永遠と解釈してしまいます。
永遠という言葉を辞書で調べてみますと次のように書かれています。
始めもなく終わりもなく果てしなく長く続くこと。とあります。
哲学的な意味としては。
・生成消滅の無い存在、すなわち無時間的な存在の性格。
・数学の命題やイデア(プラトン哲学の中心概念で、理性によってのみ認識されうる実在)。
哲学的な「永遠」の意味は良く解りませんが、無時間的という言葉は時間の経過が無いことを示していす。無限の世界です。永遠という言葉の解釈は、始めも終わりもない状態が、時間的に言えば長く続くことですから、無時間的状態ということになります。
ヨハネ3章15、16節に「永遠のいのちを持つため」とあります。
イエス様を信じた者が「永遠のいのち」を持ち、永遠に生きることが出来る。言い換えれば、無時間状態に入ることです。信じた者だけが無時間状態になり、信じていない者は時間経過に従って死んで行くということでしょうか。
聖書には人間に罪が入ったため、人間は死ぬようになったとあります。
罪が入る前は時間的に永遠に生きる状態であったことがうかがえます。無時間状態に生きていたということではないようです。
そもそも聖書がなぜ人間に与えられたのかと言いますと、人間が神様に逆らったためです。人間が死ぬようになってしまったからです。
神様に逆らった罪のため死ぬようになった人間を死から解放するための神様の方法が書かれているのが聖書です。死から解放するために与えられるのが「永遠のいのち」であり、「永遠のいのち」を与えられるためにはイエス様を信じることであると明記されています。
天地万物は神様が時間のある世界として創造されましたが、人間の罪によって天地万物も汚されてしまいました。
黙示録21章に神様は人間のみでなく、天地万物も永遠とするため一新して、新天新地を備えるとあります。
その新天新地に、人間が「永遠のいのち」によって永遠に生きるようになります。
創世記1章27節に「神は人をご自身のかたちとして創造された。」と書かれています。
神様は永遠なるお方です。その方のかたちとして人間が創造されたということは、人間は永遠の存在として創造されたということです。
罪の報酬として死ぬことになってしまった人間ですが、神様の方法によって再び「永遠」の存在になる道が開かれました。人間は有限的価値観しか持てませんので、無限で無時間の「永遠」を理解できませんし、ましてや信じることが困難です。
しかし、イエスキリストを信じて永遠のいのちを与えられた私たちはやがて完全な新天新地に、無時間状態で存在するのです。
いつまでも今現在ですから退屈しない世界です。