教会便り_281号 (2017_06_25発行)

2017年 6月25日 鎌倉海岸キリスト教会月報

牧師の信仰 戸川偕生

六月一八日は父の日でした。毎年六月第三日曜日が父の日ですが、二〇〇六年の父の日も六月一八日でした。

私はその日に牧師としての按手を受け牧師に就任いたしました。一一年前の同じ日です。

私が牧師になるなど自分を始め誰が想像したことでしょうか。私は常々「牧師には絶対になりたくない」と公言していましたから誰も驚いたと思いますし、自分自身もなぜこうなってしまったのか不思議な思いがします。

牧師の家庭に育ちながら、世間と我が家の生活を比較してなんと割に合わない家庭なのかと子供心にみじめさを感じ、牧師だけにはならない将来方針を決めていました。その方針に沿って人生を歩んで来ましたが、一九九八年六月七日、礼拝の最中に神様から、いい加減な信仰態度を指摘され同時に霊的に信仰を刷新されました。その直後に、これからの自分の人生は神様に決めていただきたいとの思いになりました。私が六三歳の時です。

それから半年ぐらいして、仕事上の親しい得意先の方から「君は神学校に行って牧師になりなさい」と上司が命令するように私にしつこく言うようになりました。

余りのしつこさにその口撃?から逃れるため、夜間に学べ交通の便が良いお茶の水聖書学院に入学いたしました。

入学二年目に会社が倒産し無職になりました。それから一年後に卒業。無職の私は、伝道師に推挙され、それを待っていたかのように父は突然召されてしまいました。

そして二年後の二〇〇六年六月一八日の父の日に、お茶の水聖書学院の増田誉雄学院長から牧師の按手を受けました。その時の増田学院長の厳しい表情とメッセージの内容を忘れることが出来ません。

ヨハネ一〇・一一から「良い牧者は羊のために命を捨てなさい」とのメッセージです。教会に集う信徒の方々のために命をかけるのが牧師の信仰姿勢であるべきであるということです。つまり命がけの信仰を牧師は持たねばならないと私に対するはなむけの言葉でした。

一一年目の牧師として自分の信仰を省みる時、果たしてそのような信仰であるか、自分の意志ではそのような信仰を持ち続けることは不可能です。信仰は意志とか知識だけではなく聖霊の働きが不可欠です。  一九九八年の霊的信仰刷新体験から、聖霊によって信徒一人一人をアガペの愛で愛し、神様のために信徒のために命を捨てられる信仰を持たせていただきたいと切に願っています。

教会は牧師の人間的才能とか技量を重視するのではなく、牧師の信仰を重視すべきです。

牧師が聖霊に満たされ信徒も聖霊に導かれて行かなければ神様に喜ばれる教会になることは出来ないと思います。

そのためには祈り求め続けることです。