教会便り_261号 (2015_10_25発行)

2015年 10月25日 鎌倉海岸キリスト教会月報

宗教改革以前の宗教改革

 一五一七年一〇月三一日はマルチン・ルターによる宗教改革の発端となった日です。

プロテスタントの教会では一〇月三一日を宗教改革記念日としております。

多くの教会で一〇月最後の聖日に宗教改革記念礼拝が持たれます。

その宗教改革から間もなく五〇〇年目を迎えます。

実は、その百年前に宗教改革があったことはあまり知られていません。

その中心人物は、英国のジョン・ウイクリフ(一三二四~一三八四)とボヘミヤ(チェコ)のヤン・フス(一三六九~一四一五)です。

ウイクリフがオックスフォード大学の教授であり、聖職者であった時、当時のローマ教会が余りに聖書からかけ離れていると大胆に非難しました。非難理由の主なものは次の通りです。

・キリストはミサ聖餐を定めていない。ミサの教理は魔術的。(聖餐のパンとぶどう酒はキリストの体と血そのものに変わる)

・様々な罪を犯している聖職者による洗礼式や聖職任命の儀式は無効である。

・信徒が司祭に罪を告白し司祭が罪を赦すという告解制度は無効。

・罪を犯している間は誰も領主、高位聖職者、司教ではない。

・教皇と主教による免償制度を信じることはおろかだ。

・教皇はキリストに次ぐ直接の代理者ではない。

ウイクリフは聖書のみが教会にとって最高の規範であると主張し、誰でも解るように英語で旧新約聖書を翻訳しました。

この聖書翻訳は彼の大きな業績です。

ヤン・フスはウイクリフの主張を引継ぎボヘミヤの教会改革を行おうとしました。

後にプラハ大学の総長までなりましたが、教皇はフスの聖書に基づく教会改革の主張を受け入れず、

逆にローマ教会から破門してしまいました。

それでもフスは屈せずに改革を主張した結果、一四一四年一一月一日に召集されたコンスタンツ公会議において裁判にかけられ、教皇に従わないフスに有罪の判決が出され、火刑が決定いたしました。

一四一五年七月六日に刑は執行されました。

フスは火の中で大声で、

「主イエスよ。私はあなたのために、この残忍な死を耐え忍びます。どうか私の敵対者に、あなたの憐れみがありますように。」と祈りつつ息を引き取りました。

遺灰は集められて、近くのライン川に捨てられました。

また、この公会議においてウイクリフの遺骸を教会墓地から掘り起こし、焼いて、その灰をスイフト川に捨てることが決められ、実行されました。ウイクリフ死後三〇年のことでした。

ルターの宗教改革の一〇〇年前に、聖書信仰のゆえに殉教した改革者がいたことを忘れてはならないと思います。

彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

    ヘブル一一・四