説教主題_2025_12_28_山中直義師

タイトル 「誇る者は主を誇れ」 聖書箇所:Ⅱ コリント 10章 12~18

 コリント人への手紙第二の10-13章は、それまでの9章までとは雰囲気が一変します。その背後には、教会内の多くの人々が悔い改めてパウロとの関係が回復された(1-9章までの内容)後に、偽使徒たちが激しくパウロを非難し、再び教会を主から引き離そうとしていたという出来事があったと考えられます。パウロは、この出来事を単なる彼への個人攻撃ではなく、教会の存亡に関わる重要な出来事として捉えました。そしてこの霊的な戦いは、今の私たちが直面している戦いでもあります。

 パウロが「偽使徒」だと断言する者たちが行っていたことが11章4節で具体的に示されています。彼らは、「別のイエスを宣べ伝え」、「異なる霊」や「異なる福音」をコリント教会の信徒たちに受けさせようとしていました。それはパウロが懸命に宣べ伝えていた「十字架につけられたキリスト」とは似て非なるものでした。問題は、全く別の神が語られていたのではなく、十字架によって根本的に転換されたはずの価値基準が、再びこの世的な勝利主義に戻されようとしていたことでした。光の御使いに変装するサタンのように巧妙に使徒に変装していた者たちは、エバを欺いた蛇のように教会を欺こうとし、残念なことに、多くの者が「十字架につけられたキリスト」から離れ、神の愛を見失い、聖霊の交わりを失いつつありました。

 教会の滅亡につながるこの悲劇の背後には、「何を誇るか」という問題があったと言えます。これは、単なる気持ちの問題ではなく、実際に何を拠り所として生きているかという問題でした。結論から言えば、彼らは「主を誇る」のではなく「人を誇る」ことを望んでいました。すなわち、世的な知恵や力や富を重んじ、それらを、またそれらを有すると見なされる者たちを誇り、それらに依り頼もうとする思いの故に、狡猾な欺きに捕らえられ、一つの教会が滅びようとしていたのでした。

 10-13章でパウロは、「力は弱さのうちに完全に現れる」(12:9)という逆説的な真理を説いています。そしてパウロは、「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます」(13:4)と言います。この「弱さ」とは、消極的なものではなく積極的な弱さです。すなわち、傷つけられたり困難な状況に直面するとき、世的な知恵や力や富に頼らず、自ら復讐したり戦ったりしようとせず、ひたすら主を信頼して主に仕えるという生き方です。パウロは、キリストに倣ってその弱さに生きるときにこそ、神の力は完全に現れるのだと言います。

 私たちも、「自分自身を試し、吟味」(13:5)したいと思います。吟味すべき内容は、「自分のうちにイエス・キリストがおられる」かどうか、そして、自分はこの主を誇って生きているかどうかということです。「誇る者は主を誇れ」というみことばを大切にし、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」(13:13)に生きる教会であらせていただきたいと思います。