説教主題_2026_01_11_山中直義師

タイトル 「すべての人をあわれむために」 聖書箇所:ローマ人への手紙 11章 25~36

 9章から続く「イスラエルの不信仰と神の義」に関する教えは、本章でクライマックスを迎える。パウロは、神に選ばれたはずのイスラエルの多くの者が不信仰のゆえに神から引き離されているという、極めて大きな悲しみと痛みの現実に向き合いながら、その背後には人知を遙かに超えた神のあわれみと救いのご計画があることを宣言している。
パウロはまず、イスラエルの多くの者が不信仰に陥り神から離れているという絶望的な状況にもかかわらず、神はイスラエルを見捨てておられないということを力強く論証する(1–10)。パウロ自身を含むイスラエル人の中に、今もなお「恵みの選び」によって「残りの者」が確かに存在しており、神の選びは決して無効になっていないのである。

 さらにパウロは、イスラエルのつまずきを通して救いが異邦人に及んだという、神の驚くべき救いの御業を語る(11–24)。「オリーブの木の接ぎ木」のたとえを用いながら、神の救いが人間の資格や功績によるものではなく、まさに不自然なほどの神のあわれみに基づくものであることを明らかにする。そして、その異邦人の救いが、やがてイスラエルにねたみを起こさせ、彼らを回復へと導くことを告げ、「イスラエルはみな救われる」という驚くべき奥義を示している(25–32)。パウロは最終的に、「神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それは、すべての人をあわれむためだったのです」という結論へと導かれる。異邦人もイスラエルも等しく不従順に陥ったが、そのすべては、神のあわれみを示すための救いのご計画の中にあったのである。

 人知を遙かに超えたこの神のあわれみと救いのご計画を前にして、パウロは溢れるばかりの賛美と頌栄をささげずにはいられなかった。私たちもまた、この神のあわれみを深く知らされ、心からの賛美と頌栄を神にささげつつ、救いの御業の完成を待ち望む者であらせていただきたい。