タイトル 「光は闇の中に輝いている」 聖書箇所:ヨハネ 1章 1~13節
クリスマスおめでとうございます。クリスマスは、「キリスト」ということばと「ミサ」(礼拝)ということばを合わせたものです。クリスマスは、神の御子イエス・キリストが私たちのもとに来て下さったことを喜び祝う日だと言えます。
なぜ私たちはイエス・キリストの降誕を喜び祝うのか。今日の聖書箇所は、ベツレヘムの馬小屋ではなく永遠の視点からそのことについて語り起こします。「初めにことばがあった」。この「ことば」は神の御子であるイエス・キリストを指しています。そして、「すべてのものは、この方によって造られ」ました(創世記1章参照)。この世界の美しさも、あなたのいのちも、目に見えるものも目に見えないものも、すべてはこの方によって造られました。そして、「この方にはいのちがあ」り、「このいのちは人の光であ」り、「光は闇の中に輝いている」と言われています。「光」である神の御子イエス・キリストは今も生きておられ、今この瞬間も闇の中に輝き続けているのです。
5節の「闇」は、「光」と対照的なものとして描かれています。すなわち、「光」であるお方を拒絶し神から離れている状態、また、それがもたらす様々な現実だと言えます。そして、私たち一人ひとりはこの闇と直面しています。自分の存在の理由や目的が分からないという恐れや不安、善ではなく悪を行ってしまうという罪の現実、人や社会から傷つけられ、自分もまた他者を傷つけてしまうという悲しみ苦しみ。私たちは、闇の中に生き、自らの内にも闇を抱えて生きています。そして、闇は光に打ち勝とうとします。私たちは、神を拒絶して神から離れた状態で生きようとし、それ故に様々な悲しみ苦しみを抱えて生きようとするのです。しかし、「闇は光に勝たなかった」と聖書は宣言します。今から約二千年前、私たち人間は、「人の光」として私たちに「いのち」を与えるためにこの世に来られた神の御子イエス・キリストを拒絶し、十字架につけて殺してしまいました。徹底的に光を拒絶し、闇の中に生きようとしてしまったのです。しかし、「闇はこれに打ち勝たなかった」。イエス・キリストは、十字架につけられて死なれた後、三日目によみがえられました。そしてその十字架の死によって私たちに完全な赦しを与え、その復活によって私たちと共にいてくださるお方となられました。
闇は今でも光に打ち勝とうとします。しかし、「光は闇の中に輝いている」。闇という恐ろしい現実のただ中にあっても、光であるイエス・キリストは今も輝き続けているのです。そして神は、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与え」くださるのだと聖書は言います。イエスというお方がどのような方であるかを知り、このお方を信頼して自分の人生に救い主として「受け入れる(迎え入れる)」とき、その人は「神によって生まれる」のだと言われています。すなわち、光を拒絶する闇に生きる存在ではなく、光であるお方と共に生きる新しい人として生きるようになるというのです。
クリスマスはイエス・キリストを喜び祝う日として私たち一人ひとりに差し出されています。神から差し出されているこの喜びの日に、闇の中に輝き続ける「光」、イエス・キリストを心にお迎えしましょう。人間的な努力や代価は必要ありません。ただ、光そのものであるイエス・キリストを受け入れ、心にお迎えする祈りをささげるのです。その時、光であるイエス・キリストがあなたの中に輝き続けてくださいます。